
柳家の原点 看板ラーメン
元祖キムチ納豆
柳家は1975年、盛岡市大通にある、さわや書店三階に手打ち蕎麦屋として開店しました。当時は「二階以上の飲食店は流行らない」といった声もありました。実際に3階という立地は想像以上に厳しかったと同時に回転率のあまりよくない「蕎麦」と言う業態にも葛藤を感じるなか、当時サイド的なメニューであったラーメンの回転の速さや、当時のお客さまのニーズも察知し、なにより「お客さんに喜んでもらいたい」= 「家族を守りたい」という気持ちの下、早々に蕎麦屋からラーメン店への切り替えをおこないました。それが現在の柳家、キムチ納豆ラーメンへとつづきます。初代店主の大信田和一氏は信じていました。
「想いを込めた一杯は、きっとお客様の心に響く」。その想いを「一生一品」と名付けました。その意志のもとにボリューム満点でネーミングなど「自由」で「ユニーク」でラーメンの製法や概念を打ち破るような商品を発信し続け開店から50年。「一生一品」は多くのスタッフへと受け継がれ、「農業」も巻き込み、さらなる進化を遂げようとしています。
元祖キムチ納豆誕生秘話
初代店主、大信田和一氏は、十六歳から盛岡駅前の仕出し屋で丁稚奉公をしていました。当時、ご主人に作ってもらった納豆汁は、感動的な美味しさでした。その味を思い出し、ラーメンにアレンジしたのが「納豆ラーメン」です。ある日、まかないで納豆ラーメンを食べていたとき、傍らに香の物としてキムチを置いていました。女将の良子さんはひらめきます。「キムチの辛味、酸味が納豆ラーメンに合うのでは・・・」。試してみると、発酵食品同士、相性が抜群。日常の一コマから、名物ラーメンは誕生しました。現在ではスーパー、コンビニ、レシピ媒体などでポピュラーな組み合わせとなった「キムチ」×「納豆」の組み合わせ。柳家では約40年前に誕生していました。
企業沿革
株式会社 柳家



1975年 | 現会長 (大信田和一) の故郷花巻市大迫町より移転。 盛岡市大通りさわや書店3階に生蕎麦をメインとした「柳家」開店(2020年柳家総本店として現在の店舗へ移転) |
2004年 | 柳家「東安庭店」オープン |
2005年 | 宮城県仙台市 柳家「仙台駅東口店」オープン |
2006年 | 自家製麺の供給のため柳家「麺工房」設立 キムチ、味噌、麺、等 主要材料のセントラルキッチンとして稼働開始 |
2007年 | 家族経営からの店舗拡大、従業員の増にともない「株式会社柳家」を設立。 柳家「矢巾店」オープン 北上市 江釣子ショッピングセンターPAL フードコート内 柳家「北上PAL店」オープン |
2008年 | 全国初。全自店舗の麺で使用する「小麦粉」の確保、地域活性の目標を掲げ「小麦栽培」農業への進出 自社農園「やなぎやのうえん」設立 ※2025年現在大迫町、紫波町にて12haで栽培各店の「麺」として供給 |
2009年 | 宮城県仙台市中田町、本町に 柳家「仙台南店」オープン 柳家「仙台本町店」オープン (共に東日本大震災による影響により閉店。仙台東口店に統合) |
2010年 | 柳家「みたけ店」オープン 初の従業員暖簾分け独立店 宮古「麺屋清兵衛」オープン(東日本大震災による影響により現在閉店) |
2011年 | 東日本大震災後の閉店、統合による影響もあり従業員の活躍の場、店舗出店が加速する 深夜営業の店 柳家「大通り2号店」オープン(コロナ禍2020年柳家総本店へ統合) 盛岡駅ビルフェザン地下 めんこい横丁に 柳家 「フェザン店」オープン 盛岡市緑が丘アネックス川徳内に 復活「麺屋清兵衛」オープン(後に暖簾分け店無化調中華そば「いさらぎ」にリニューアル) |
2012年 | 中華そば専門 柳家「大通り3号店」オープン(後に暖簾分け店舗麺屋好成ヘリニューアル) |
2013年 | みたけ店 柳家初の試みとして 「どんぶり槻家」としてリニューアルオープン(現在は再々度みたけ店として営業中) 柳家北上本通り店オープン(現在閉店) 「大通り 3号店」店舗リニューアル 暖簾分け店「麺屋好成」オープン(現在閉店) 農地拡大にともない「やなぎやのうえん」法人化 |
2014年 | より良い素材の使用を考え製麺工房に併設した 「柳家精肉所」を設営。県産豚の1頭買いによる店舗への供給をはじめる。 伴い仙台東口店にて 「豚カツ★ヤナギヤ」として豚カツの提供を始める(現在販売終了) アネックス川徳 麺屋清兵衛からリニューアル 暖簾分け店 無化調中華そばの 「いさらぎ」オープン(後に柳家アースティー店へ移行コロナ禍2020年柳家総本店へ統合) 柳家40周年企画 1年限定記念店舗 豚骨「柳家フォーティー」オープン(現在閉店) |
2015年 | 「みたけ店」リニューアル ラーメン「槻家」 オープン(現在みたけ店として営業中) |
2016年 | 「槻家」リニューアル 再度、旨辛、激辛をコンセプトとした新しい柳家Styleとして 現柳家「みたけ店」として再々リニューアル 柳家海外進出 海外店舗ベトナムハノイに 「My oshi ★03 」オープン |
2017年 | 盛岡駅ビルフェザン1階改装に伴い新しくできた おでんせ館に 「フェザン店」オープン フェザンは1階、地下、と2店舗での営業に(現在1階おでんせ館店舗 コロナ禍に閉店) |
2019年 | 「柳家一関店」オープン |
2020年 | 「さわや書店3階本店」 「大通り2号店」 「アースティー緑が丘店」 三店舗を統合し、盛岡映画館通りサンクィーンビル1階に「柳家総本店」として移転オープン |
2021年 | 青森県八戸市 ラピアフードコート内 「柳家ラピア店」オープン |
2025年 4月現在 | みごとな紆余曲折、東日本大震災やコロナ禍を経験し、チャレンジと失敗、 たくさんの従業員達との出会いと卒業、お別れを繰り返しお客様に支えられ今年で50周年 現在 柳家groupこちらが元気に営業、 稼働いたしております。 「総本店」「フェザン店」「北上PAL店」「一関店」「仙台東口店」「八戸ラピア店」 「東安庭店」「矢巾店」「みたけ店」「VN Hanoi My oshi 03」 店舖外 セントラルキッチン柳家「麺工房」「やなぎやのうえん」 |
株式会社 やなぎのうえん
2008年 | より良い麺を追い求め、農業に参入。 岩手県花巻市大迫町に2.5haの土地を借り、 やなぎやのうえん(現在の大迫本圃場オープン) |
2009年 | 自社農場産の小麦を使用した、オリジナルブランド小麦粉『○ッ粉』誕生 |
2011年 | 岩手県紫波町に7.5haの土地を借り、やなぎやのうえん紫波農場がオープン |
2013年 | 農業部門を分社化 農業生産法人 株式会社やなぎやのうえん設立 |
2016年 | 大迫町の作付農地を年々増やし4.5haまで拡大。全体で約12haとなる。 |

